ふとんから出たくない

22歳、大学生、休学中。半引きこもり生活をしています。生きるのが怖い。

好きなことでは生きていけない

 

 よく「好きなことを仕事にするのが本当の幸せだ」というようなことを耳にする。某有名YouTuberの「好きなことで、生きていく」というキャッチコピーも世の中に広く浸透している。私も数年前までその言葉を信じていたのだが、就職活動を始めるにあたって、必ずしもそれが正解ではないことに気付いた。

 

 私は何より読書が好きだ。どんなに辛いことがあっても本があれば生きていけそうな気がするし、手元に本がなくても、読んだ本の記憶さえあれば、真の孤独には陥らないだろうという確信がある。そんな私が就職活動を始める際、真っ先に就職先候補から外したものが「出版社」「出版商社」「書店」だった。

 簡単に言うと、覚悟がなかったのだ。好きなことを仕事にすると、それはもう「趣味」ではなく「義務」になってしまう。本を読むのも、誰かに勧めるのも、仕事として責任を持って行わなければならない。それは嫌だった。私は自分のペースで、自分の好きな本を、好きな時に読みたい。この世に存在する本の数と、人が一生のうちに読める本の数はどう考えたって釣り合わないから、プライベートの時間を削ってまで好きかどうかもわからない本を読むのは苦痛だと思ったのだ。

 それに何より怖かったのは、読書という「一番好きなこと」を仕事にした時、逃げ場がなくなる気がしたこと。仕事で失敗することが、そのまま好きなことで挫折することを意味するのは、考えただけで恐ろしかった。私はこれまで私生活や学校生活でどんな失敗をしようと、どんな嫌なことがあろうと、本を読むことで乗り越えてきた。友達が一人もできず、誰とも言葉を交わせなかった幼稚園児の頃からずっと。それだけ私は本に依存している。そこに、その「読書」という行為の中に、挫折や自己嫌悪という負の要素が入ってきてしまう。例えば仕事である本を上手く売れなかったとしたら、その本はその後一生「あの時売れなかった本」という見方しかできなくなる。私はそういう人間だ。好きなものに嫌な思い出が一生ついて回る人生に耐えられる自信がなかった。

 

 そんなわけで、私は好きなことでは生きていけない人間であるという結論に達した。仕事は仕事で気楽に取り組み、趣味は趣味として思いっきり楽しむことにした。とはいえ全く好きじゃないことにもやる気がでないたちなので、就職先は4,5番目くらいに好きなものに関わる仕事にしたのだが。この選択をめぐっては一時期かなり煩悶したのだが、それはまた別の機会に。ともかく私はこうした人生が幸せでないとは思わないし、好きなことを仕事にすることだけが幸せだという考え方には反対である。

 そして、自分がこうした選択をしたからこそ、好きなことをそのまま仕事にしている人の覚悟に尊敬の念を禁じ得ない。世の中には東大や京大を出ても出版社に内定をもらえず、それでも本に関わる仕事がしたいからと書店のアルバイトで生計を立てている人もいるという。その情熱と覚悟には本当に頭が下がる思いだ。

 

 そして最近、また少しずつ考え方が変わってきた。私自身が好きなことでは生きていけない人間であることに変わりはないし、その選択を覆したいわけではない。だが、自分が選ぶことができなかったもう一つの人生に思いを馳せたとき、自分の生き方にふと寂しさを覚えたのだ。

 田山花袋の『蒲団』という小説に、このような一節がある。

 

  "一歩の相違で運命の唯中に入ることが出来ずに、いつも圏外に立たせられた淋しい苦悶、その苦しい味をかれは常に味った。"

(田山花袋『蒲団』)

 

 一歩の相違、つまり覚悟を持たなかったせいで、運命の唯中に踏み込めない自分。情熱から始めた仕事では、自己嫌悪を重ねながらも、普通の仕事では味わえない究極の喜びにも出会うはずだ。それを目先の苦しみに囚われて放棄してしまった自分の弱さが情けない。どんなに傷ついても前に突き進むという強さを、もっと早く身につけられていたら良かったのに。けれども私はこれからも運命から逃げ続けるのだろう。私は私の可能な範囲で小さな幸せを摘みとりながら生きていくしかないのだ。