太宰を好きとは言いづらい
太宰治が好きだ。ありがちな話だが、『桜桃』を読んで「私のことが書いてある」と痛切に感じた。
しかし太宰を好きとはなかなか言いづらい。太宰といえば甘い自己否定とその裏にある強烈な自己愛のイメージが強く、そんな小説を好きだと申告するのは、自分はめんどくさい人間ですと自己紹介するようでいたたまれない。
また、世間の太宰に対するイメージがかなりデリケートなことも、太宰を好きと言いづらい理由の一つだ。文学通を自称する人たちは、太宰なんぞ純文学とは認めぬとばかりに「ああ、太宰好きなんだ(笑)」と半笑いで小馬鹿にしてくるし、普段本を読まない層は、なんか王道っぽい作家名に困惑しつつ「ああ、人間失格の人でしょ? 暗い本が好きなの?」と微妙な反応を示す。
以上のような理由から、太宰はファンであることを公言しにくい作家ナンバーワンだ。
が、しかし、私は太宰が好きである。好きだと言いたい。言えるようになりたい。
そもそも「◯◯を知らないやつは本当のファンとは言えない」みたいな、「◯◯を好きなんてのは人間が浅い」みたいな、そういう凝り固まった偏見が大嫌いだ。そういうことを平気で口にする人間こそ浅いと思う。どんな作品であれ、そこに光るものを見つけられるというのはある種の才能である。
……と、ここ最近の殺伐としたツイッターのタイムラインを見ながらつらつら考えていた。みんなマウント取るの好きよねぇ。議論という名のただの喧嘩、どっちが悪いのあなたはどっち派だのと。私はツイッター上でもぼっちなので、皆さんのやり取りをただ眺めているだけなのだが、巻き込まれた人は大変そうだ。そもそも渦中の人らは何と闘っているんだろうか。
そんなタイムラインで私だけのほほんと関係ないことを呟くのは案外勇気がいるけれど、私は私の好きなことを気兼ねなく好きだと言える度胸を身に付けたい。
太宰は語りがとても上手い。まるで親しい友人に話しかけるみたいに、時に深刻に、時に冗談まじりに、軽快に語って聞かせてくれる。語りだけでここまで魅せる作家を私はほかに知らない。太宰を「暗い話を書く作家」だと思っている人は、『お伽草子』や『貧乏書生』などを読んでみるといい。自由奔放でお調子者で、けれどとても心優しい友人に出会えるだろう。