ふとんから出たくない

22歳、大学生、休学中。半引きこもり生活をしています。生きるのが怖い。

最後にひとり取り残される

 

 今日は大雨の中、車で30分の距離にある祖父母の家に遊びに行ってきた。就職で県外に出たらそう簡単に行けなくなるので、今のうちにたくさん顔を見て話をしておきたくて、ここ数ヶ月は毎週のように遊びに行っている。

 祖父母宅は何度かリフォームを重ねたとはいえかなり古く、台風が来れば窓がガタつくし、冬は隙間風が冷たい。子どもの頃はお座敷やそれを囲む廊下がとても広々としたものに見え、格好の遊び場とばかりによく走り回っていたけれど、今ではそれもこじんまりとして見える。

 対して、大人になったからこそ感じられる魅力もある。薄暗いお座敷や廊下は風情があるし、冷暖房設備のない台所は昔ながらの雰囲気が漂う。きしむ階段には冒険心がかきたてられ、畳の部屋に置かれたベッドにちぐはぐな魅力を感じたりする。子どもの頃とは違った意味でロマンを感じられる空間だ。こんな家でひとり寂しく余生を送るのも悪くない。

 と、そう思ったところで、ふと「祖父母がいなくなったらこの家はどうなるんだろう」という考えが頭をよぎった。現在、祖父母宅には祖父母と叔母の3人が暮らしている。祖父母が他界すればしばらくは叔母が一人で住むことになるだろうが、その先はどうなるのだろう。私の両親は持ち家があるので、わざわざ固定資産税を払ってまで保持はしないだろう。あの家はいつかなくなってしまうのだ。

 時間というのは理不尽なもので、大切なものを一つ一つ奪っていってしまう。大好きな家族も、家も、物も、いつかはなくなる。私を置いていってしまう。そんな当たり前のことを当たり前だと諦める覚悟が、私はまだできない。

 

 限られた時間を前に、家族との時間を捨てて地元を出ることが、果たして正解なのだろうか。就活をはじめてからずっと考え続けてきた。私にとって本当に大切なものは何なのかと。何の取り柄もない私の人生に少しでも可能性を見出すために地元を出るのか。地元で就職して限りある家族との時間を大切にするのか。どちらも同じくらいやってみたくて、どちらを選んでも必ず後悔するだろうと思う。答えはきっと、何十年も後になってみないとわからないのだろう。

 私はただ怖いのだ。人生のトロッコの行き先がわからないことが。いつか引き返せなくなることが。だから、いつでも引き返せるような理由を探している。